先人覚者たちの教え

釈迦は「われわれの存在自体、われわれが考えたことの結果である」と言いました。また、ローマ帝国の哲学者マルクス・アウレリウスは「われわれの人生は思考によってつくられる」と説きました。先人覚者たちは皆「私たちが(この三次元、物理次元で)見ている現実は、私たち自身が思考したことの結果である」という真実に気づいていたことがうかがわれます。

いつの時代にも、智慧ちえに目覚め覚醒した人々は「人は考えたとおりの人間になるという原理原則に沿って人生を歩めば良い結果が得られるのだから、この原理を受け入れるように」と熱心に説いてくれています。ところが、多くの人々は、ネガティブな常識や疑う心にとらわれてしまい、こうした真理を真実として受け入れようとはしません。

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ネガティブな思考や感情も現実化するという事実

多くの人は、自分の周りで起きるネガティブな出来事に心をわずらわせ、いつも心配や不安で心がいっぱいになってストレスの中で生きています。そして、そうした現実を人のせいにしたり「運が悪かったのだから仕方がない」として簡単に諦めてしまいます。

ここで強く注意を促したいところは、「思考は現実化する」という原理原則は、ポジティブな思考、感情だけに言えるものではないということです。私たちは、その原理はネガティブな思考にも働き、否定的な思いも現実化してしまうという事実にも目を向けなければなりません。

実は、挫折を経験した若い頃の私は、それこそマイナス思考のかたまりでしたから、それがとてもよくわかります。以前の私は、毎日不安や心配の中で生き、過去を悔やみ、自分を否定し、怖れや劣等感の中でもがき、まさしく自身が思い描いた現実の中で押しつぶされそうな日々を送っていました。

ネガティブから学ぶか?あるいはポジティブから学ぶのか?という選択

自分が大事にされていないと感じるときは(1)」の項でも書きましたが、私たちは「宇宙には、そもそも相対的な価値判断の基準は存在しない。価値判断とかジャッジ(評価、判定、批判)という視点は宇宙にはない」という事実にも目を向けなければなりません。それは、私たちが「ネガティブ」と判断する現実も、実は、意味があって起きているという事実です。今振り返れば、私自身も、そうしたネガティブな現実から多くのことを学んできました。目を覚ますためには、一度、そうしたネガティブな現実を体験し、それを心に落とす必要があったのかもしれません。

しかし、私たちは、最早「ネガティブから学ぶ」というやり方からは卒業する時期を迎えているのかもしれません。そもそも、ネガティブから学ぶのはあまり心地良くないですものね。私自身は「もうじゅうぶんにネガティブは経験した」という、ある意味達成感のようなものを感じています。ネガティブな現実や記憶は手放して(その具体的な方法「手放しワーク」はこちらをご参照ください)軽やかなマインドとともに、明るい未来を生きて行くと、私自身は決めました。

さて、皆さんはどうされますか? 選択は、皆さんご自身の手の中にあります。

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